柊研究所の備忘録

アート×ものづくり×教育を考える研究者です。

研究者とはどんな生き物か?

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 第14回は、『研究者』について書きます。

数日前にtwitter経由でこんなブログをみました。

 

研究と開発のはざま - でかいチーズをベーグルする

 

このブログを受けて、

研究者とは?研究者の楽しみは?

研究者という謎の生態について自分なりに書いてみたいと思いました。

 

これは、僕の経験です。

大学の研究室生活と企業の研究所で働く中でみたこと聞いたことから構築されています。

 

研究者はなぜを追求する生き物

 

「なんで?」

すぐこの疑問が浮かびます。

時として、それはものすごく極端で、常識にすらその疑問を投げかけます。

 

「柚子が木から落ちたんだ。」

「なんで?」

「いや、なんでって?」

「水の中なら落ちないじゃないか。なんで空気中だと落ちるんだい。」

「液体だから?」

「液体の中だって、鉄球なら落ちるし、同じ果物でもリンゴなら落ちる。落ちやすいものと落ちにくいものがあるんじゃないかな。。。云々カンヌン

 

とこんな感じでだいぶやっかいな生き物です。

TPOをわきまえてスマートにみせている研究者でも必ず頭の中ではこの「なんで?」を繰り返しています。もし、あなたが研究者の話を聞いて賢いなと思ったらそれは、何百回、何千回にも及ぶ『なんでループ』の繰り返しの賜物なのです。

 

真理を求める研究者と真理を利用する研究者

 

大雑把にわけると、

真理を求める研究者は、大学に多く、

真理を利用する研究者は、企業に多いです。

 

この特性は、目指すべきゴールの違いにあります。

 

大学の研究者は、目指すべきゴールは『なぜ?』を解明すること。(冒頭で紹介したブログでは、ビッグクエッションと呼んでいました。)これに研究者は熱狂します。フェルマーの最終定理のように、一生を費やしても解けない問題や、恐竜の生態のようにより多くの人を納得させる説を唱えることだったり、目の前の『なぜ』が困難であればあるほど、魅力に感じます。だから、その『なぜ』が解決した後に得られる生活や社会の変化は後回しにされることが多いです。

 

一方で、企業の研究者は、目指すべきゴールは、『どうやって使うか。』です。

たとえ、『なぜ』が解明されていなくても、

 

それを使うことで、飛行機を飛ばせたり、

料理が美味しくなったり、

顧客の心を掴めたり、

 

結果として企業活動を良い方向に向けることが重要です。

 

僕は、大学の研究者から企業の研究者になったとき、この考え方の違いによるカルチャーショックを強く受けました。

 

その結果、

大学時代に経験した「この研究はなんの役に立つのだろう」というたまに押し寄せる虚しさがなくなるのと引き換えに、

「このなぜがまだ解決されていないのに」という企業人としての新たな葛藤が生まれました。

 

それでも、僕は企業の研究者になって良かったと思っています。

それは、大学の時には出会えなかった異分野の専門家との出会い、論文にはなっていない膨大な数の実験データ、そして、大学時代には逆立ちしても買えなかった実験装置など、人財とお金の潤沢さから生まれてくる価値は、当時の僕には見えなかった広い世界を見せてくれました。

 

研究者は閃きに魅せられている

どちらの研究者であっても、研究をしていて良かったと思う瞬間は、閃きの心地よさです。

昨日までは、つい数秒前までは、混沌とした頭の中をもがき苦しんでいたはずなのに、ふとした閃きですべてが一変する瞬間があります。

 

ドラマ「ガリレオ」で突然数式を走らせるような、「名探偵コナン」で事件のトラックがわかったときのような、、

 

真理までの道筋がクリアにみえたとき、思考が一気にフル回転して、歩いていても、電車に乗っていても、ご飯を食べていても、そのことが頭から離れなくなる。

 

そんな至福の閃きを求めて、研究者は日々研究活動を続けています。 

 

 

今回の本の紹介は、

 

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

 

研究者の考え方や生き方がある一人のユーモア溢れる研究者の人生を通して伝わってくる本です。

 

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